「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

2018-07-27 13:55:44

 

すかさず! 大きな声で! スマイル!!

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

私(たち)は,あなたのことを誰よりも精一杯愛している。

 

 

「生きる自分への自信を持たせる
鍛地頭-tanjito-」副塾長の住本小夜子です。

 

 

この度の西日本豪雨災害に際し,
お亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
また,被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。

 

 

私も,「被災者」の一人となりました。
避難当初から支えてくださった皆様には,この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
誠にありがとうございました。

 

 

さて,今回の記事は,
先日,塾長の小桝雅典が記述した,

 

 

とは角度を変え,
私自身の実際の体験・経験を元に,
そこから見えた〈被災の事実〉をお伝えできればと思います。

 

 

当ブログの内容については,不快に思われる方がおられるかもしれません。
しかし,実際に被災したからこそ分かったことを,
あくまでも「私」の立場で,如実に書き残しておく必要があると考えたのです。
一瞥だけでも,目を通していただければ幸甚です。

 

 

 

 

 

まず,私がいち早く感じたこと。

 

それは,
「支援活動にどのような気持ちで参加してくださっているのか。」
という命題にかかわることです。

 

注:助けていただいた身で,このようなことを申し上げるのは,
  甚だ失礼であることを重々承知いたしております。

 

本心から被災した方を想って支援してくださっているのか。
自己満足を得るためだけに支援してくださっているのか。

 

この度,それがよく見えてしまったのです。

 

 

支援活動をされておられる方の中に,
黙々と土砂の撤去や家屋の片づけを手伝ってくださる方もおられれば,
「うわ~,ここすげ~!!」と言いながら,興味津々に写真を撮り,
自らの記録として残す方もいる。

 

「被災者」は,財産を一瞬で喪失したり,泣く泣く処分したりしているのです。
その傍らで,被害の大きさを単なる「悲劇(悲惨な出来事)」とされることは,とても不快でした。
助けてくださったことには,本当に心から感謝しております。
ただ,「被災者」の気持ちを,もっと真剣に心で感じていただきたかったのです。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【こども部屋に飾ってあった思い出の作品】

 

 

 

 

 

被災地を少し離れた,とある場所での出来事です。

 

被災した私を横目に(明らかに私を意識して),
「(被災していない)私の家にも給水してもらえんのんかね~」
と,私の近くにいた女性は大声で言い放ちました。

 

どのような目的でこのような発言をされたのか,
その真意は分かりません。
しかし,この言葉を,
「『被災者』というだけで優遇されていいよね~」
と読み取ってしまったのは,私が至らない人間だからでしょうか・・・。

 

 

私たちは,決して被災したくてしたのではありません。
それまでの長い間,当たり前に暮らしていた我が家が,
瞬時に,土砂や雨水によって奪われてしまったのです。
天災ですから,だれを責めることもできず,
ただただ無情にも,「思い出」を捨てていかなければならなくなったのです。

 

 

転居に伴い,住所変更や契約関連の手続きを進めています。
でも,「被災者」であることを言えずにいました。
以前の〈私〉は,そんな「私」ではありませんでした。

 

「(被災していない)私の家にも給水してもらえんのんかね~」

 

この非情な言葉が,なぜかいつもつきまとうのです。
自らの心の内に,
〔『被災者』の立場を利用しているのではないか,いや,決してそうではない・・・,でも・・・・〕
と,葛藤と躊躇が渦巻くのです。

 

 

先日,ある手続きの際に,
最後になって,漸(ようよ)う「被災した」と相手方の担当者に伝えた場面がありました。

 

「被災したと言いにくいんですよね・・・。」とボソッと呟くと,
担当者は少し強めの口調で,
「『被災した』とおっしゃることは,決して悪いことではありませんよ。」
「災害救助法が適用されますから,他(の機関)とのやり取りでも,必ず被災されたことをお伝えください。」とおっしゃいました。

 

 

理性では,「被災者」である〈事実〉をきちっと述べなければならないことをよく理解しています。
でも,感情がついてこないのです。

 

「(被災していない)私の家にも給水してもらえんのんかね~」

 

同じ体験をしてみてください。
どこにもぶつけることのできない悲しみや苦しみがあることを,
おわかりいただくことができると思います。

 

それまで築いてきた小さな幸せを一瞬にして奪われ,
何もかも持っていかれた悲しみと苦しみは,言葉で語り尽くせるものではありません。

 

 

「被災したからといって,簡単に『助けてください』と言えない。」
「助けてほしいと思っても,『被災者』だからこそ言えない。」

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【避難直後,日記を書く息子と本を読む娘】

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【救援物資のご飯をいただく息子と娘】

 

 

 

 

 

7月6日(金)の午後9時頃。
私は2人のこどもを連れて,小学校へ避難しました。
私が避難をする決め手となったのは,
生きた心地もしない思いで,自宅アパートに戻れたことがきっかけでした。

 

 

7月6日(金)午後8時30分頃。
河川水位や警報,避難情報などを気にしながらも,
いつものようにこどもを寝かせるのか,それとも避難するのかを迷い,
すぐ近くを流れる(広島県東広島市の)黒瀬川を視認しようと,
単身で車に乗り込みました。

 

この時すでに,自宅アパート前の道路は,
農業用(と思われる)水路から流れ出た鉄砲水のような濁流により冠水していました。
意を決し,17インチのタイヤが半分ほど浸る,
大きな大きな水たまりとなった道路を走り切り,
川辺近辺に到着したところ,
その永遠と続く水たまりの中に呆然と立ち尽くし,
迫り来る水たまりを凝視している一人の年配の女性を発見したのです。

 

バケツを一挙にひっくり返したような
どしゃぶりの雨が容赦なく打ち付ける車の窓を開け,
激しい雨音にかき消されまいと,私は声を張り上げました。
「大丈夫ですか!?」
女性は,「はっ」とした表情で振り返り,
「この周辺の方は,すでに避難しました・・・」と正体を失った体で声を振り絞られました。
「逃げないんですか!? 避難しましょう!!」と声を掛け,
私も急いで避難しようと車をUターンさせました。

 

 

そしてまた,
冠水して大きな大きな水たまりとなっている道路を走り戻ろうとしたとき,
ふいに車がダムを放水したような増水する濁流に横から押し流され,
ふわっと浮いたのです。

 

「いけん!! ダメだ!!」
瞬間,脳裏によぎったのは,自宅で待っている2人のこどもです。
冠水した道路の脇に田んぼがあるのですが,
境が全く分からない状態でした。

 

「このまま増水し押し流され続けたら,私は死ぬのか?!」
「残されたこどもはどうなる?!」
「立ち往生している場合ではない!!」
そう思った瞬間,目一杯,アクセルを踏み込んでいました。
その後のことは,よく覚えていません。

 

気づいた時には,自宅前の駐車場でした。
慌てて室内に戻り,
こどもに避難することを伝え,車で小学校へ向かいました。

 

駐車場を出るとき,アパートのすぐ手前まで増水した大量の水が迫っていました。
(この間,15分ほどでした。)
ふと見ると,先ほどの女性とは別の年配の女性が冠水した水の中に立っていらっしゃるのです。

 

「危ない!! 危ない!! 危ない!!!」
私は,思わず車から飛び出し,何度も何度も無我夢中で力の限り叫び続けました。
その女性も,黒瀬川の水位を見に行こうとしていたそうで,
迫り来る濁流を前に立ち竦んでおられたのです。

 

 

もし,車が押し流されていたら・・・。
水の中で車が止まってしまっていたら・・・。
年配の女性に気づかず車を走らせていたら・・・。
取り残された息子と娘はどうなっていたのだろうか・・・。
年配の女性は・・・。

 

 

その光景を想像すると,背筋がゾッとします。

 

私の中にある命の尊さを,改めて有り難く感じるとともに,
私には生き延びたんだという申し訳のない気持ちがあります。

 

しかし,現実を受け入れ,
だからこそ,精一杯生きていかねばならず,
生かされていることに感謝しないといけないのだと思います。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【7月6日(金)午後7時頃の黒瀬川】

 

 

 

 

 

少しは落ち着いた今になって,当時を思い返せば,
同じアパートに住む方々や近隣の方々に,
なぜ,その時に声を掛けなかったのかを悔やみます。

 

自分自身,避難することに必死だったとはいえ,
状況を伝え,避難を呼びかけることくらいはできたはずです。
自宅前の道路がすでに冠水していたのだから,
アパートの浸水も時間の問題でした。

 

 

翌朝,7月7日(土)午前9時。
雨が上がり,自宅アパートの様子を見に行こうと小学校を出ました。

 

すでに,広範囲が浸水被害に遭っており,
自宅近辺にいらっしゃった消防団の方から,
「自宅付近は,最高160センチの浸水です。」と伺いました。
「アパートの住人(特に2階)は逃げ遅れ,救助活動を行った。」とも。

 

小学校を出た折も,自宅に近づくことは,到底,できませんでした。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【写真中央にある赤い屋根の家の左手前が自宅アパート】

 

 

水が引いて片づけを始めたころ,
隣の棟に住んでいた20歳くらいの若い男性が,
避難した際の状況を教えてくださいました。

 

「『(彼女が取り残されたが,)水の流れが速く,救助に向かえない。』と消防から言われた。」
「(その若い男性は)腰まで水に浸かり,押し流されそうになるのを必死に堪えながら,やっとの思いで自室に辿り着き,彼女をおんぶして助け出した。」
「間一髪だった!!」

 

私が,一言声を掛けていれば,こんなことにはならなかった。
そう思うと,後悔と申し訳なさが胸にこみ上げ,
涙を堪えることができませんでした。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【水が引き,漸く入れた元自宅アパート】

 

 

この被災により,
日頃の「近所づきあい」の大切さを痛感しました。

 

「どこにだれが住んでいるのか」という情報は,
あいさつを契機として,
近所のみなさんで知っておく必要があるのではないかと考えます。

 

いざという時に助け合える,
そうした〈地域のつながり〉を築いておくことが肝心です。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【避難先の塾長宅にて,塾長の娘さんと遊ぶ息子と娘】

 

 

 

 

 

被災後,こどもの精神状態がやや不安定になりました。

 

短い間でしたが,我が家は避難生活を経験し,
我慢(忍耐)の日々を過ごし,肩身の狭い思いもしました。

 

 

被災から約3週間が経過し,
転居先での新しい生活にも少しずつ慣れてきました。
息子と娘は,だいぶ落ち着きを取り戻しているように見えます。

 

ただ,大切なものをたくさん失った〈現実〉はもう取り消すことができず,
心の安定を取り戻すには,もう少し時間が掛かりそうです。

 

 

被災したことで,
様々な人の本質を目の当たりにし,
「人の痛みと優しさ」を思い知りました。

 

当塾の理念である〈恕(じょ)=思いやり〉は,
決して失ってはならない崇高な理念だと痛感しました。
なんとしても〈優しさと思いやり〉を乳幼児の頃から育てていかなければならないと考えます。

 

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【被災後も懸命に咲く我が家の朝顔】

 

 

私たち母子は,これからどのように生きていくべきか。
それは,これまでの信念と変わらず,
何が起きるかわからない将来を見据え,
何が起きるか分からないからこそ,
眼前の一分,一秒,一刹那を懸命に生き抜いていくことなのだと思います。
人生の合言葉,「すかさず! 大きな声で! スマイル!!」とともに。

 

 

「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―

【転居先にて,ラジオ体操に参加する息子と娘(左端の2人)】

 

 

[追記]
被災時から力強く支えてくださった塾長を初めとして,
広島市内からSNSで貴重な情報を送り続けてくれた友人や親戚に,
心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

 

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